小学校5年生の時に初めて生理になって以来、ひどい生理痛に悩まされ続けていた。薬を飲んでもましになんかならないのはもちろん、痛みを我慢するために呻き声をあげていた。出産後の今から考えると、重い生理痛は陣痛並みに痛い!毎月陣痛があるって、もう何人産んでるんだよ! 毎月3日間は痛みが続き、その度に学校を休んでいた。
キャプテンを努めていた中学のバスケ部と生理痛の両立が大変だった気がするが、詳しい記憶はない。顧問は体育教師で、「私はまったく生理痛がないよ」と言っていたのを覚えている。その話を聞くたびに「うらやましい、やはり体育の先生になるには体が丈夫じゃなきゃいけないんだな」と思っていた。別に体育教師になりたい訳ではなかったが、今後の職業選択において、この生理痛が足かせになるのではという不安がよぎった。
部活のメンバーには私の他にもう一人だけ、同じく生理痛の酷い子がいた。彼女も毎月部活を休んでいた。練習に厳しい部だったから、彼女がいなくて私一人だけだったら、たぶん部活を続けていられなかったかもしれない。
高校生の時にひと月だけ、物凄く生理が重い酷い月があった。生理前の PMS だけでも体調が悪く、さらにその後の生理痛も重なり、4日間学校を休んでしまった。そして休み明けに登校した際、担任から小部屋に呼び出され、「なにか悩み事があるのか?」と、メンタルの心配をされてしまった。あの時はなんだかうんざりした気持ちだったけれど、今思えば彼の行いは教師として正しく親切であった。面倒臭く思って申し訳なかった。確かに電話口では「お腹が痛いので休みます」としか伝えていなかったが、それで察してくれると思っていた自分が甘かったな…と痛感した。以来は思春期の恥じらいを捨て、「生理痛で休みます。」と堂々と言うようになった。別に恥じることでもなんでもない。
高校は進学校だったので、勉強についていくのは大変だった。にも関わらず、毎月1日か2日は休まなければならない。その度に聞き逃した授業分のノートを友人から借りて写す作業をしていた。3年生の時はクラスに友人がいなかったため、その作業もやっていなかった。あの時は自覚していなかったが、生理痛を抱えながら受験勉強をこなすのは、男性もしくは生理痛がない女性に比べ、相当不利であっただろう。しかも私の場合、生理周期が不定期で、いつ生理が来るのか予測出来なかった。
困り切った私は、生理痛やPMSへの対策本を、当時一般人にも手の届くようになったインターネットを通して、Amazon を利用して買うことにした。(地元はド田舎なので本屋はないに等しかった。)クレジットカードを持っていなかったので、代引きで本を届けてもらうことに。学校から帰ると、母親が既に荷物を開けていて、「こんな訳わからん本を買って」と小言を言われた。自分が理解できないものにお金を使わせたくなかったのだろう。
その本の中に「生理痛の軽減には病院でピルをもらうといい」と書いていたので、私はようやく婦人科に行くことにした。しかし私の地元はド田舎である。婦人科専門の病院などはない。正確には産婦人科病院である。周りのは妊婦しかいない。嘘である。閑散としていて誰もいなかった。この時点ですでに、①地方における少子化の深刻さ、②この病院の人気のなさ、が読み取れる。田舎のお年寄りの男性医師の産婦人科病院。今思い返しても完全な死亡フラグである。初めての産婦人科で、生理痛の相談してみるも「子どもを産んだら治ります」とだけ言われて即終了であった。勇気を出して「ピルを飲みたい」と申し出ても「将来子ども産むんだし、若い女性は薬は飲まない方がいい」と言われた。ショックを受けて諦めたことは覚えている。今ならば、他の病院にも行けばよかったのに、と思うけれども、たぶん、田舎の高校生が自分だけでたくさんの産婦人科を探し回るのは、精神的に難しかったのではないかと思う。
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